ひとりごと

まず、与えられた情報以外に関していくら論じても、
空論の域を出ないということ


そして、その対象が人の感情など、
内面的なものであればなおさら


他人の気持ちを、性格を、
傍から見ているだけでどれほど理解できるというのか


TVの中であまり発言しないから、消極的な子に違いない
周りに気を配っているから、しっかり者で優しい子に違いない
そんな誰でも出来る推論に、どれほどの信憑性があるというのか




相手の気持ちを考えることは大事だと思う
ただし、その人が何に悩み、何を望んでいるのか、
それを考え、自分がしてあげられると思うことは実践し(常識の範疇で)、
何も思い浮かばない、或いはそっとするのが最善と判断すれば、
何もせず見守ることに努めるなど、
あくまで相手のための『推測』でなければならない
ここにはちゃんと、
間違っているかもしれないというブレーキが備わっている


これがいつの間にか、
「この人はこういう風に思っているんだと思う」
       ↓
「本当はこうだったに違いない」
というように、
単なる押し付け、
しかも『思想の押し付け』になっていくと始末が悪い
「こう思っているに違いない」
       ↓
「こう思っていてほしい」
大人の願望の押し付けとはよく言ったもので、
それはもはや信じる信じないではなく、
ブレーキも足かせも全て取っ払った、
独りよがり以外の何物でもなくなる




何より、
最初は攻勢一筋だったくせに、
相手が敗北を認めた途端、
手のひらを返すように
「潔い最後だった」とか
「立派だった」とか言い出す、
某国のような発想が浅ましくてちゃんちゃらおかしい